村を守りたいと心から思う人の意見をただのアンチと呼ぶ人達へ

最近食べ過ぎたとおもった日にジムとか運動ができなかった夜は酒を飲んでも散歩をしてカロリーゼロにするようにしているんですが、それはどうでもよいとして、ツイッターって多くのコミュニティがあるとおもうんですが、どうしてもそれぞれの意見がぶつかって争いが生まれますよね。

 

もともとツイッターって出始めた時はいろんな意見を純粋に発信している人が多かったから、なんの疑いもなくその情報を受け取ればよかったのかなと思うんですが、やはり人集まるところに金ありで、それを利用する輩がゴキブリの様に発生するのは必然なのかなと最近思ってます。

 

肩書きすべてを悪いとは言わないのですが、「空っぽな、前向きな発言(どっかできいた名言をコピーして発言しているだけの中身のない)ブロガー」や「自分より良いサイト作ってる人をクソサイト作るとせ書く悪くなっちゃうのかな?とか自分を守るために強がっている人」とか「消耗してるの系」の人とか、ほんとゴキブリのようにそういう人湧いてますなーと。※ブロガーさんという肩書きを否定してはいません。

 

で、その人達がよく言うセリフで、「アンチがー」「自分の時間使いなよ」「暇だね」って一言でかたずけられたりしますよね。

 

まーほんとにそのとおりで、ゴキブリに時間必要もないし、殺虫剤で倒しておけばいいんですけど、一応人間ですからそういったことはしてはいけないのは当たり前です。

 

ただ、なんでアンチの方々はそういった人を批判するのかって考えてみたんですが、

 

例えば、とても幸せに暮らしている20人しかいない村があったとして、ほそぼそと農業や川で魚を捕まえたりして、20人が暮らせる食料を確保できて、外の村や国はもっと贅沢な暮しをしているのをしっている。しかし、今の生活はそれなりに嫌いではないという生活をしている村があったとします。

 

そして、ツイッターで嘆いている人がそういった村の住人の一人だったとします。

 

突然、その村に「いいひとかもしれないしそうじゃないひとかもしれない人」、辛い農業や魚の狩りをしなくてもあなたにもっといい生活を与えることが出来るよ私は。

 

という人が現れたとして、曖昧なもっといい生活とは?って話ではあるのだけど、まあ良い生活をくれると言っているから話聞いてみるか。って人は20人のうち何人いるかわからないのだけど、その曖昧な提案が本当は何もない空っぽの嘘だったとします。

 

でも、20人のうち、一人二人が、なんとなくあの人がもしかしたら凄い人、と信じてしまって、5人6人が信じていって、17人18人とその空っぽの詐欺師を信じてしまった。

 

村は、よくなっているのか?と眺めていたら、なぜか、畑からとれる収穫物がその謎のいい人かもしれない人に半分もっていかれて、川でとった魚は他国に輸出されているのに村に利益はもたらされない。

 

そんな、人間がいたら排除しようとするのは当たり前なのかなと私は思うんですけど、ツイッターの変な人を批判する人ってそういう心理なのかなーと。

 

結果的にその村にいる人が幸せになればもちろんその人は詐欺師ではないのでしょうけどね。

 

 

でも、今インターネット上で溢れている数の暴力を利用している詐欺師はまさになにもない空っぽの人間(いや動物)で、コミュニティを悪用している人(いや動物)が多い気がします。

 

で、一番言いたいのは、そういう詐欺師を批判する人は、確かに自分の時間を使ったほうがいいというのはわかるんですが、自分達のコミュニティ(村)を守りたいと思っている人なんだと私は思うのです。

 

詐欺師はそういう人を「アンチ」と呼びますが、私はそういった教祖に毒されてしまった村人達への「アンチテーゼ」なんではないのだろうかと。